大好きなことをやり切るなら
「一日中、朝起きてから眠りにつくまで、心から大好きなことをやりきっているのか?」この問いを半年ほど前から自分に繰り返してきました。自分が心から大好きなことを選ぶには、誰の目も気にしない勇気が要るし、自分のことが好きで、心の底から信じてあげられているということが土台になるんだと思います。
こんなことを難しく考えることなく、ごく自然体ですこやかに過ごせている人もきっといるんだと思います。私はそうではなかったです。自分のことが好きではなかったし、いつも幸せになることに罪悪感がありました。
大学生の頃、よく思っていたことは「好きなことを仕事にできる人は、幼少期から特別な才能がある。私はそうじゃない。」「世界中には戦争や食糧難でこんなに大変な人たちがいて、自分は恵まれているくせに、何もできない。」の二つかな。
23歳の頃ご縁があって、メンター的存在になってくださった自然食の料理の先生との出会いをきっかけに、25歳でたなまち農園の創業・結婚・助産院での出産を経験しましたが、年々私が生来持っていた「自己犠牲的な価値観」が顕著に問題を起こすようになりました。自分が抱えられる仕事・暮らしのキャパシティがいつも分からないのです。それも、大きく溢れてみないと分からない。
第二子の産後に経験した産後うつの頃(今は元気です)、正確ではない表現であることを記した上でのことですが、「躁うつ」の人の気持ちが、私は僅かに分かった気がします。創業と出産をほぼ眠らずにやったのは、おそらく一種の「躁」状態で、29歳で、大きな「うつ」状態になったのではないかと…。
人生のお母さんの先輩方は、よく「楽をしなさい。子育ては長丁場だから。」と声をかけてくれました。でも、実際のところ、「楽をする」ってなんだろう?と考えてしまうことばかりでした。例えば、赤ちゃんにずっと紙おむつだけを履かせること。おっぱいが問題なく出るのに粉ミルクにすること。(決して紙おむつ・粉ミルクを否定しているのではないですよ!)買ってきたレトルト食品やお惣菜で済ませること。Youtubeやテレビを見せること。掃除や部屋の整理整頓を諦めること。
「目先の楽ではなく、長い未来を見据えた」有機農業に携わっているという仕事柄もあるのですが、短期的な「楽」の代償についてはいつも頭をよぎっていました。(今は、バランスを意識しながら自分の心地よい範囲で取り入れていますよ。)
さて、朝から晩まで、私が心から大好きなことをやり切るなら。要らなくなった重たい荷物(古い価値観)は一つずつ手放して、身軽に過ごしたい。美味しいごはんを、心を込めて作りたい。焦らず、笑顔で子供を送り出したい。毎日家族で食べたい。お家を心地よく整えたい。子どもの話を聴ける余白がたっぷりとほしい。五感をフルに使って毎日を楽しみたい。たくさん文章を書きたい。わたしが神様にもらった得意なことは何でも、それぞれの場所で活かしたい。こんな暮らしから、ほくほくと生み出されるあたたかなエネルギーをベースに、三十代は働けたらいいなあ。
2026.1.29