子育ての仕方が分からなかったお母さん
–子どもとの時間が、愛おしくて。楽しくて仕方がない。」−
そんなお母さんになりたかった。現実は、いつも眉間にしわを寄せて、ぴりぴりとした自分。家庭内でのちょっとした諍いを機に、ざらざらとした感情や、自分の幼稚さが剥き出しになっては、自己嫌悪を繰り返す。しかも、子育てを楽しそうにしている他のお母さんに嫉妬する。勝手に比べては、自分の出来ていないことの多さに落ち込む。
「生きにくさの原因は、全て自分の母親との関係にある」ということを、3か月前に、とある有名な心理学のブログを機に知った。「自尊心が低い人」=「自分の存在を条件付きでしか肯定できないと思っている人」は、まだ子どもを産むべきではないと、子どもを尊重する立場から発信されている。(ご興味のある方は、ブログをお教えします)
それでいうと、わたしの「心」は子どもを産む準備ができていなかった。それは言語化できないレベルでは薄々勘づいていたのだが、とてもショックな現実だった。
人の身体は、20代〜30代前半が出産の適齢期だと言われる(これは決して高齢出産の是非を話しているのではない。生物学的な話だ。)全く予想外なことだったが、私は25歳でご縁あってプロポーズを受け、この時期を大切にすることにしたのだった。 また、人より体力に自信がなかったこともあり、「子育ては若いうちに」と思った。オーガニックな食事を大切にし、毎日沢山歩いた。
希望していた助産院での出産を家族でして、2人ともとても安産だった。全く会陰が切れず、母乳のみ・布おむつで育てて、わたしが若い頃悩んだアトピーやアレルギーなどもなく、すくすく育っている。しかし、わたしの心にはいつも欠乏があった。人間には「心の成長」が必要だということをずっと見落としていた。
「生きにくさの原因は、全て自分の母親との関係にある」ならば
わたしの記憶の中にいる、お母さんはどんな姿だったか…。少なくとも、笑顔は少なかった。いつも苦しそうで、人生のあらゆる愚痴をつぶやいていた。自分の軸がなくて、いつも色々なことを周りの人のせいにしていた。身なりはぼろぼろで、ひどく太ったのを出産・子育てのせいにしていた。復職後も好きではない仕事だったので、いつも家では暗い顔だった。
「自分は大したことない人間だから」と暗に娘のわたしをブロックして、自立に関する相談を全くさせなかった。わたしが自分の意見をはっきり言うと、いつもひどく萎縮していたので、当たり障りのない話題を必死に選んだ。お母さんは、罪悪感を埋めるために、口だけの「気にかけてあげられなくてごめんね」だけを繰り返していた。
思春期の時、お母さんは鬱病だった。心療内科に付き添ったこともある。お母さんが自殺しないかとても不安だった。わたしは、「この世界に産まれてきてごめんなさい。わたしがいなければお母さんは幸せだったな。一刻も早く家を出て、お母さんを楽にしなくちゃ。」と毎日思っていた。
わたしは、本当のところ「お母さんが笑顔の幸せな家庭」が実感として分からない。最近実家に帰ったが、お母さんは50歳を過ぎても何も自分で決めないので、わたしが決めることが山積みで、息が詰まって疲れてしまう。自尊心が低いのも、子供と過ごすのがつらいのも、一番身近な家族に対して色々なことを我慢して溜め込んでしまうのも、わたしのお母さんから受け継いだデフォルト設定として骨身に染み付いていて、なかなかアップデートは進まず、しぶとい。
でも、今も昔も、全部お母さんの精一杯の人生だった。わたしの心を育てられなかったのは仕方のないことだった。農業をしていると、全く同じ種を蒔いても、日当たりや水、翌日の天候の兼ね合いなどで、「発芽しない、途中で枯れる」という経験は、数え切れないほどしている。お母さんも、わたしも、たまたま産まれ落ちた土に栄養が足りなくて、必要な日当たりや水やりが足りなかったのだ。
そして、その必要なものは、「母親の笑顔」だったのだ。わたしのお母さんは、子どもの心がどうすればすくすく育つのか、情報弱者で分からなかったのだ。誰も悪くない。
だから、誰の目も恐れずに、今この瞬間のわたしが笑えることをすれば良いんだ。また、わたしの周りには、幸い笑顔の豊かな家庭がたくさんあるから、「お母さんが笑顔の子育て」で分からないことは、ひとつずつ素直に教えてもらえばいいんだ。